福岡忠久の偉人録

僕、福岡忠久が、ただただ偉人を紹介していくブログ。

福岡忠久の偉人録「宮本武蔵」

今日、福岡忠久が紹介する人物は宮本武蔵です。

宮本武蔵は江戸時代初期に活躍した有名な剣術家で、その生涯で数十回もの決闘を行いそのすべてに勝利したという強者です。

最初に決闘を行ったのは若干13歳の時だったというのですから福岡忠久も驚きです。


武蔵の決闘の中でも最も有名なのが「巌流島の戦い」です。小倉藩(現在の北九州市)にある舟島で岩流と号する剣客と戦い、刀を持った相手を木刀の一撃で倒し勝利をおさめました。

その後決闘相手の名にちなんで舟島は巌流島と呼ばれるようになったのです。

岩流は佐々木小次郎という名で呼ばれることが多いですが、こちらの名は後世の創作で名付けられたとも言われています。

また、相手を苛つかせるために武蔵がわざと遅れて行ったというエピソードが有名ですが、これも後世に創作されたものです。


晩年の宮本武蔵は細川忠利に招かれて熊本で暮らしていました。そして霊巌洞と呼ばれる洞窟に籠もり、「五輪書」という兵法書を著したのです。

その名の通り密教の五輪にちなんで全五巻に分かれており、自らが完成させた流派である「二天一流」における心構えや戦法が書かれています。

また、他の流派を批判することで自らの流派が如何に有用であるかを説いているのも特徴です。なお、現在は霊厳洞に宝物館が設けられており、木刀など武蔵ゆかりの品々が展示されています。


武蔵は剣術家としてだけではなく芸術家としての才能も持っており、様々な書画を残しました。

中には「枯木鳴鵙図」や「紙本墨画鵜図」など、重要文化財に指定されている作品もあります。

これらの作品は和泉市久保惣記念美術館永青文庫などに所蔵されています。
武蔵は1645年に没しましたが、その後彼をモデルにした講談などが多く作られ後の世に大きな影響を残しました。