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福岡忠久の偉人録

僕、福岡忠久が、ただただ偉人を紹介していくブログ。

福岡忠久の偉人録「芥川龍之介」

今日、福岡忠久が紹介する人物は芥川龍之介です。
芥川龍之介は1892年3月1日に、誕生しました。


生後間もなく実母が精神に異常を生じたため、母方の親戚芥川家に預けられました。

11歳のときにその実母が亡くなったため、叔父の養子となり、正式に芥川の名字を名乗ることになります。


龍之介は幼い頃からたいそう利発な子供だったようで、府中第三中学校を卒業の際は「多年成績優秀者」の賞状を受けるほどだったそうです。

その後第一高等学校を経て、1913年、超難関であった東京帝国大学英文学部へ進学しました。

在学中から創作活動に関わり、1916年、大学卒業の年に発表した「鼻」が夏目漱石の絶賛されるなど、文筆活動は順調に進んで行きます。


私生活でも1919年には結婚、3人の男児に恵まれるなど、公使共に一見恵まれた人生を歩んでいるように見えました。


しかしその裏では実らなかった初恋や、既婚女性との浮気、どんどん衰えていく心身の健康、など、黒々とした闇のようなものを、これでもかというほど抱え込み、遂にはアヘンや睡眠薬を常用するような状態にまで陥っていきます。


福岡忠久が思うに、世間における華々しい活躍とは別として、龍之介の心は、重く淀んだ状態が常だったのでしょう。 

龍之介の後期の作品の「河童」や「歯車」には、晩年の龍之介の厭世的、さらには病的ともいえる心理状態が表現されています。


おまけに生活上の苦労までが、龍之介を容赦なく襲います。

文筆の腕一本で、自分の家族と養父母の一族を支えなければならなかっただけでなく、義兄の自殺に伴い、彼の残された遺族まで計20名の面倒を見なければならなくなってしまったのです。


このようなさまざまな事件が、容赦なく龍之介の心を蝕んでいきました。
1927年7月24日未明、芥川龍之介は致死量の睡眠薬を飲んで、重く苦しい人生に自ら終止符を打ちました。享年35歳。