福岡忠久の偉人録

僕、福岡忠久が、ただただ偉人を紹介していくブログ。

福岡忠久の偉人録「雪舟」

今日、福岡忠久が紹介する人物は雪舟です。

雪舟室町時代に活動した、水墨画家・禅僧です。

1420(応永27)年、備中(岡山県総社市赤浜)で生まれ、13歳の時に備中井山の宝福寺(岡山県総社市)に入り、僧になったと言われています。


その後、雪舟は京都の相国寺に入りました。等楊の名をもらい、禅の修行を続けながら、周文から絵を学びました。大内氏の庇護の元、周防に移り住んだ後は、1468(応仁2)年、遣明船に乗って中国(明)に渡ります。

 

約2年間、各地で水墨画を学び、画聖と呼ばれるほどになりました。明に渡ったことは、帰国後の画風に、大きく影響を及ぼすことになったと言われています。
帰国後は、周防、備後、豊後、石見で創作活動を続けました。

 

豊後時代には、九州各地から弟子が集まりました。没年については、定かではありませんが、1506(永正3)年、87歳という説が有力です。また、亡くなった場所についても、周防の雲谷庵や岩見増田の大喜庵、備中の重玄寺など諸説あります。

 


雪舟といえば、「涙で鼠を描いた」逸話をご存じの方は、どのくらいいらっしゃるでしょうか。

福岡忠久は、子どものころに聞いたことがありました。

宝福寺での小僧時代、絵が好きだった雪舟は修行をそっちのけで、好きな絵ばかりを描いて過ごしていました。

腹を立てた和尚は、ある朝、雪舟を柱に縛り付けますが、夕方になって様子を見に行きます。

すると、一匹の大きな鼠が雪舟の足元を動き回っているのに気づきました。和尚は近づいて鼠を追い払おうとしましたが、今度は動く気配がありません。

よく見ると、鼠は、雪舟がこぼした涙を足につけて、床に描いたものでした。それ以来、和尚は雪舟が絵を描くのをいましめることはなかった・・・と言われています。