福岡忠久の偉人録

僕、福岡忠久が、ただただ偉人を紹介していくブログ。

福岡忠久の偉人録「松尾芭蕉」

今日、福岡忠久が紹介する人物は松尾芭蕉です。

その中でも今回福岡忠久が着目するのは松尾芭蕉が忍者だという説です。

芭蕉といえばおくのほそ道の作者としてお馴染みですね。

これはいわゆる紀行文で、当時江戸を出発した芭蕉が東北や北陸を巡り、岐阜にある大垣までの旅を綴った内容となっています。


芭蕉は当時伊賀の国で生まれたとされ、姓を名乗ることも許されていたそうです。今日の日本では姓を名乗るのは当たり前の事ですが、当時は一部の階級の人間のみが許されていました。

そのため、武士の家もしくは土豪と呼ばれる裕福な農家の出身ではないかと言われています。近年注目されている松尾芭蕉忍者説は一部の忍者も姓を名乗ることが許されていたからというのも理由の一つとなっています。 

 

では芭蕉の忍者説についてですが、伊賀の国は忍者の里として知られていました。江戸に出てきた芭蕉は当初日本橋に住んでいたのですが、後に住まいを深川に移して何度も旅に出るようになります。

当時は俳句を教えることで生計を立てていたにも関わらず、武士や商人の多い日本橋ではなく、当時あまり開かれていなかった深川に移り住んでいるのです。更に、収入が落ちているのに何度も旅に出るというのは違和感がありますよね。
当時、旅行というのは今よりももっと敷居の高いものでした。そのため、芭蕉は元々忍者で俳諧師として活動していたのはカモフラージュではないかという意見が多くあります。当時芭蕉は名の売れた俳諧師でしたから密偵としてはうってつけです。

伊達政宗がまだまだ覇権を狙っていましたが、政宗もまた忍者を味方にしていたので普通の忍者では返り討ちに遭うか、存在がバレてしまいます。しかし俳諧師ならば旅をしていても不思議は無いですよね。

当時松島を素通りした記録が残っていますが、一方で仙台藩の重要拠点は訪れているというのもポイントになります。そう考えると謎が解けるようで面白いですよね。

 

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