福岡忠久の偉人録

僕、福岡忠久が、ただただ偉人を紹介していくブログ。

福岡忠久の偉人録「豊田喜一郎」

今日、福岡忠久が紹介する人物は豊田喜一郎です。


トヨタ自動車の創業者であり、日本における自動車の父的な存在です。
元々は、豊田自動織機製作所で、自動紡績機の改良に尽力をつくしていた研究者だった豊田喜一郎ですが、商談の際に度々訪れていた欧米で、自動車産業が勃興している姿を見て、日本における国産自動車メーカー設立の野望を抱くようになります。


とはいえ、大正から昭和初期の日本では、フォードの自動車工場が国内で操業されており、所謂アメ車が国内市場を席巻していた状況であり、アメリカと日本では、工業力の差が大きく開いていた時代でした。


豊田喜一郎は、この困難な状況を乗り切るために、欧米から自動車を輸入して、分解と組み立てを繰り返すことで、自動車の構造や仕組みを理解し、国産自動車製造に向かって邁進していたと伝えられています。


福岡忠久的に頭が下がる部分は、この石にかじりついても諦めないという気概ですね。日本の産業史に残る偉人たちには共通している部分です。


やがて努力が実り、会社を挙げての自動車事業進出へと繋がるわけですが、その後の豊田喜一郎は、その時代に生きた多くの人間と同じように戦争に巻き込まれます。

戦時中は軍用車の製造を強いられ、戦争が終わり、ようやく民間の自動車が作れると喜んでいた矢先の1952年に、豊田喜一郎は病死することになりました。